
京都へきて、病院の事務局長として労務対策、病院の建設、痴呆性治療病棟の認可また、特別養護老人ホームでは就業規則の作成からやらせて頂きましたが、その原点はこの三浦海岸で勤務した病院にあります。
その病院の中に組合が4組合あり日々団交また、この病院は後3ヶ月で破産です。と言われる経営状態、地域の方々の理解も得られない大変な病院でした。
事務長として勤務時には、私が”おはようございます”と職員に患者さんに挨拶をしても、おはよう!の言葉は数か月のも間返してくれませんでした。
そんな時の心の支えは、朝、通勤道から見える富士山。「日本一の富士山が見守ってくれてるんだ大丈夫!大丈夫!」と己に言い聞かせながらの勤務でした。そしてストレス解消は当然道場で汗を絞り出す厳しい稽古でした。
病院建設やもろもろがあり近隣の方々への承諾、協力要請もありましたが、こちらも相手にして頂けない日々でした。
そんな時、当時区長さんだった、鈴木さんが初めて私に心を開いて下さりまた、支えて頂き事業も進展を見せるようになり感謝感謝でした。
また、仕事とは言え人と人が真剣に向き合う時”心”がいかに大切かを30才過ぎの私に行動で、体で教えて下さいました。
そんな鈴木さんの葬儀があり4日間付き添わせて頂きお別れをさせて頂きました。
今回、私の歴史の1ページに幕を下ろすことが出来たように思っております。
そして、新たな幕開けを感じました。
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